憧れ

わたしは不謹慎にも、気絶や早退にあこがれを抱く子どもだった。
小学校の朝会で倒れた子がいて、それがなんだかかっこよく見えてしまったのだ。 けれど、わたし自身の体調が悪くなることはなかったし、仮病なんて肝の据わったこともできない。
だから調子が悪くて早退していく友人なんかを、わたしはこっそり羨ましいなあと思いながら見送ったりしていた。

意識の遠いところで、ばかな校長のやけに長いオコトバが聞こえている。 わたしはグラウンドの砂を集め小さな山を作ることに夢中で、 けれど革靴が汚れるのもいやだからそこそこにして、また砂を散らした。
ようするに、暇なのだ。
夏休み前日の、終業式。 こんなに暑いのに、炎天下で長々と夏休みの過ごしかたなんてものを語る先生方。 こっちは高校生で、もう何年も毎年同じ注意を聞いているのに。
何度言われてもだれも守らないような夏休みのキマリ。常套句ばかり。
ああ、暑いなあ。
靴の底で文字を書いてみても、結局暇つぶしにはならなくて、つまらなくて。 下を見続け首の痛くなってきたわたしは、汗が頬を伝い落ちるのを感じながら顔をあげた。
日射しを浴びてまぶしいほどの校舎。
比例するように黒いその影。
朝礼台の左右に適度に散らばって生徒を見ている(ように見せかけ、実は校舎の影で涼んでいる)教師の中に、高杉先生はいなかった。
(横にいる、かな)
わたしの位置からは、前と、生徒に対して左側にいる先生たちの姿しか見えない。 右側にいたら見えないな。左にはいないし、後ろかも。 そう考え振り向こうとした瞬間、
ふわり、二列隣に立っていた女の子のからだが崩れ落ちた。
周りの生徒の「どうしたの?」「大丈夫?」の声を皮切りに、ゆるやかにざわめきが広がってゆく。
一番近くにいた女教師がすぐに走り寄って抱き起した。
熱中症だか日射病のようだ。
わたしは名も知らぬその子を、いまいち心配もせずに横目で見つめる。 と、肩に小さな衝撃。
「おい、大丈夫か」
高杉先生が後ろから駆けてきて、彼女のそばにしゃがみこんだかと思ったら、そのまま彼女を抱ええて立ち上がった。 お姫様抱っこのまま、校舎のほうへさくさくと向かっていく。
(そうか、保険医だった。)
ふたたびのざわめきの中、今更なことを思う。 そして、懐かしい憧れがよみがえってくる。
(わたしも、気絶とかしたいなあ。)
けれどあの頃とは、理由がすこし違うかもしれない。
(いま、わたしにはきっと気付いてすらくれなかったよね。)
倒れた彼女のことしか、たぶん先生の目には入っていなかった。
羨ましかった。憧れていた。ああ、今も、
ため息をついたのと同時に、校庭にチャイムが響いた。

(2010,11,30)