逃避行はつづく
委員会が思っていたより長引いて、外はもう暗かった。
校舎を出て、校門まで一直線に歩く。
それはもう、競歩にちかいくらいのスピードで。
(間に合え間に合え間に合え。)
するとふいにぱたぱたと足音が近づいてきて、後ろから声をかけられる。
「さん、よかった追いついた」
ああ。間に合わなかった。
振りむくと、つい先程まで隣に座っていた彼がにっこりと笑う。
「歩くのはやいね。委員会終わってすぐ出てっちゃうし」
「ああ、うん。はやく、帰りたかったから」
「だよね。今日長かったもんね」
おまえに会いたくなかったんだよ、とはもちろん言わない。
自分がこのひとに好意を向けられているのは、もうずいぶん前から分かっている。
「あ、ちょっとごめん」
そういって彼は駐輪場に走る。
(なんか、走ってばっかだな。)
ごめんと言われてしまっては、さきに帰ることはもうできなくて、
足をもぞもぞさせながらその場にとどまった。
そんなことに気付かない彼は、自転車を押して戻ってきながら
もういちど「ごめん、ありがと」と言って笑みをこぼす。
ああ、満喫してるなあ。
他人事のようにおもう。
ほんと、どうしよ。
「さん、鞄カゴに乗せたら」
並んで校門に向かいながら、彼は言う。
「え、いいよ。重くないし大丈夫」
「でも疲れてるでしょ?」
「ううん、へいきだよ。ていうかあの、そんな気つかわないでいいから」
「それはこっちのせりふだよ。なんだったら後ろ乗っていいよ」
「ははっ、もう校門着いちゃうよ」
「いやあ、バス停まで送るよ」
「え、」
「乗せてってあげる」
「だって、反対方面じゃない」
「いいよ。早く帰りたいんでしょ?」
「いやいやいや、悪いしいいって。や、ほんとに」
気持ちだけで十分だから。遠慮しないでいいから。
いつのまにか校門の横で立ち止まったまま、
わたしたちは同じようなやり取りを何周も繰り返す。
手を繋いで横を通り抜けて行ったカップルが、勝ち誇ったような視線をよこした。
いや、うらやましくないって。
反射的にこころのなかで思っていると
「俺たちも、ああいうふうに見えてるかな」
彼は(ぜったいに、意図的に、わたしに聞き取れるようにして)つぶやいた。
(うわやばい。このひと、)
意識が遠のきそうになったそのとき。
「、今帰り?」
突然の声にふたりして肩をびくりと震わせた。
「沖田」
声の主は自転車にまたがったまま
のたのたと近づいてくる。
「遅くね」
「うん、委員会だったから。沖田は?」
「部活」
「そっか、お疲れ。ねえ、いまずっと後ろにいたの?」
「別にいないけど。なんで」
「ううん、なんでもない」
「あっそ。お前、もう帰んなら後ろ乗ってけば」
「え、でも」
「なんでィ、送ってやるっつってんでさ」
「いやそれは分かるけど」
「ならさっさと鞄乗せろや。俺ァはやく帰りたいんでィ」
「あ、はい」
あわててもうすでに荷物でいっぱいのカゴに、
自分の鞄をどうにか詰めて、
ぽかんと口を開けたままの彼に向き合う。
「えっと、沖田が道一緒だから、沖田に送ってもらうね」
「え、さん、」
「じゃあ今日はお疲れさま。ばいばい」
ばいばいを言い終わるより早く沖田がペダルを踏み込んだ。
慌てて目の前の背中にしがみついて後ろを振り向いたけれど、
校門の影になってもう彼の姿は見えなかった。
「誰あれ」
沖田がまったく興味のなさそうな声で問う。
「委員会が一緒の、あー、わたしのことが好きな山田くん」
「へえ。は好きじゃねえってかい」
「まあ、ね。わかった?」
「頭んなか花畑かって思ってる顔してたろィ」
「そこまでじゃないよ、失礼だな」
「そこまでってこたァ、多少は思ってたんだろ」
「いやまあ、少女漫画の住人かとは思ってたけど」
「変わんなくね」
「変わるよ。わたしの言い方のほうがソフトだもん」
「どうだか」
顔は見えなくても、声は変わらなくても
沖田が笑ったのが分かる。
それはただの苦笑だったのかもしれないけど。
「ねえ、助けてくれてありがとう」
「別に」
ねえ。なんでさっきは下の名前で呼んだの。
なんで名字に戻しちゃったの。
もう呼んでくれないの。
聞きたいことはたくさんあるけど、
あっけない返事と同時に、自転車のスピードが幾分落ちたように感じて
まあ、今じゃなくてもいいかとわたしは思う。
(2011,5,14)