誘い水

どかりと縁台に腰掛け、スカーフをはずしてシャツの袖もめくった。
夏の日射しが、じりじりと肌に刺さる。
縁台にかけられた緋毛氈と同じ、真っ赤な傘の下に身を隠すように、数センチ横に座り直した。 影ひとつでもずいぶん違うものだ、そんなことを考えていると
「いらっしゃい沖田さん」
が団子と麦茶を持って店から出てきた。 限界まで氷の入った麦茶は、頭痛が走るほど冷えていて、うまい。 は一度店の奥に引っ込み、水の張った桶を手にしてまたのれんをくぐってくる。
「打ち水ですかい」
「ええ、ちょうどいちばんあつい時間になるので。沖田さんが来るまえにすませようと思っていたんですけど」
「いまやってくれても構わねえですぜ。あちいし」
「あら。じゃあ、ちょっと見苦しいかもしれないですけど」
「常連客は店員に対して寛大になるってもんでさ」
ふふと軽く笑って、そのままは打ち水をはじめた。
「かかったら、ごめんなさいね」
ざぱりざぱりと水が舞って、地面はより黒さを増す。
打ち水にしては、撒く水の量が多すぎるのではないかと頭の隅でちらりと思ったが、 撒かれる水も、水浸しになった地面も、太陽の光を受けて反射する様を見て、 なんとなく頭がぼうっとした。
自分らしくない。 けれど、力が抜けて楽になるのも事実なのだ。
「ねえねえ沖田さん」
「ん、なんでィ」
水を撒き続けながら、が俺の名を呼んだ。
「なんだか、海に行きたくなってしまいました」
「・・・水見てて?」
「はい」
安直ですねと言って、は照れ臭そうに笑う。
「行きたくなったというより、見たくなった、ですかね」
「・・・泳げないから、とかですかィ」
「いえ、泳げる泳げないというより、水着になりたくないんです」
「なんでいそりゃ」
「海は見たいんですけど、入りたいともまた違うのかな」
「ふうん」
だって肌を出すのは恥ずかしいですしねえ、そもそもわたし水着なんて持ってすらいないですし。
にこにこと笑いながら、ひとりで喋り続けている。 水を撒き続けながら。 いやいや、もう水は十分だろう。そう思いながら、口を開く。
「次の休み、連れて行ってやろうか」
手の動きをぴたりと止め、が振りかえる。
「ほんとうですか?」
「嘘言ってどうするんでさ」
「海?」
「おお」
「わ、やったあ」
さっきとは桁違いの笑みが広がった。
「ただ、」
「はい?」
小さく息を吐く。が首をかしげる。
「ただ、俺はの水着も見てえと思うんですがね」
海だけじゃなく、と付け足す。
はぽかんと口を開けたまま無言になって、数秒見つめあってしまう。 そのうち、ぱくぱくと口を動かすの頬にうっすら朱が走った。
「沖田さんになら、見せてもいい、ですけど」
気まずそうに眼をそらし、どんどん小さくなる声で呟く姿に、思わず、微笑んでしまう。 こっちを見たは「や、約束ですよ」と言いながら背を向け、勢いよくまた水を撒く。
一段と赤くなった耳が見える。
「うん」
ふたたび舞う飛沫が、きらきらと眩しくひかる。

(2011,1,3)