まあ、夏はすぐそこですし
あと何分かで、ここをあとにしなければならない。
時計を見てそのことに気付いて、つまらなくなって目をつむる。
瞼に閉ざされた世界は明るい。
「はあ」
ためいきをついて、まるで恋するおとめのように、思う。
目を開けたらあのひとがいますように。
けれど彼の姿はどこにもなかった。
目の前にあるのは殺風景なホームだけ。
このホームも向かいのホームにも、離れたところまで誰もいない。
夏がもう近い。空は雲ひとつない快晴で、なのに。
「ああ、」
つまらない。
降りる駅で便利なように、いつからか朝の駅には定位置ができていた。
まいにち十分もいない、それは屋根すら途切れたホームの隅。
夏は日焼けが怖いし雨の日は足もとがびしゃびしゃになるけれど、
ほとんどひとのいないこの場所がわりとすきだった。
いや、ひとはいると言えばいる。
向かいのホームのだいたい同じ場所に、毎朝電車を待つ男の子がひとり。
同い年なんだと、思う。
線路を挟んでいて、離れているけれど、でもなんとなくふたりきりな気持ちがして
気になってちらちらと観察してしまう。
制服はなんの変哲もない学ランで、学校は特定できなかった。
髪はさらさらで栗色。顔はいつも涼しげ。
わたしがテスト期間のときは彼も教科書を片手に持っていて、
普段はイヤホンを付けていて、
ときどき携帯をいじっていて、
文庫本サイズの本や、漫画を読んでいるときもあって、
雨の日なんかは疎ましげに空を睨みつけているひとだった。
弁解しておくと、電車を待っているあいだずっと彼を見続けているわけではない。
正面にいるから目に入ってしまうだけで、観察とはだからちょっとちがう。
もちろんストーカーでもない。断じてない。
たまあに、向こうから視線を感じることがあって、顔を上げるけれど目は合わない。
気のせいかしらと思うと、予期しないときに思い切り目が合うこともあって、
そんなときはやっぱりどきどきする。
ちなみに、朝はわりと一緒になるのに、放課後はただの一度も見かけたことがない。
なんというか、もどかしかった。
わたしの目線は時計と、向かいのプラットホームと、そしてホームから伸びる階段を往復していた。
よくあることじゃない。
数えているわけでもないけれど、月に何度かは、彼はいない。
だから諦める。今日はこない日だ。うん、しょうがない。
また目をつむって、自分に言い聞かせた。
そのとき、
「よお」
真横から声がして心臓がはねた。こちらのホームのことはまったく意識のうちに入っていなくて、
人が近づいているのにも気が付かなかった。
ばくばくいう心臓の音に気付かないふりをして、ゆっくりゆっくり振り向く。
まさかというか、やっぱりというか、
彼がそこにいた。
「学校サボって、どっか行かね?」
まっすぐわたしの目を見て、きれいなかたちの口が開く。
予想もできなかったことばが耳に届いて、頭はぐるぐる回る。
名前も知らないけど、けれど、夏が近づいているし、それに、それに、
ああ、神さま!
(2010,11,11)