はじまり
目の前で、色素の薄い髪の毛が揺れている。
窓から入り込む風は春の訪れを伺わせるような、柔らかいものだった。
今日はやけに暖かい。
3年間同じクラスで、銀八の気まぐれによって行われた席替え以来、一週間と2日も、
窓際に前後した席にこうして座ってさえいるというのに
沖田くんとは一度も会話を交わした記憶がない。
これはすごいことだと思う。
だってわたしは、屁努呂くんとだって話したことがあるのだ。
教卓にプリントや返却物の山を作っている銀八に名前を呼ばれ、
教室の一番後ろから一番前までダラダラと歩いて、また席に戻る。
いつのものだか分からない小テストの答案用紙を返されて、今更どうすると思いつつ、
鞄の中へしまう。まっすぐゴミ箱へ送ってしまうのは、なんとなくもったいない気がした。
浅い思考の海へ、また潜る。
この事実に気付いたのは実はだいぶ前なのだけれど、受験やら何やらで話すタイミングも、
きっかけもなかったので、密かに記録は更新されていった。
ほぼ卒業式の練習をするためだけに学校へ来る毎日の中で、わたしは、
これはもう一言も交わさずそのまま卒業するのもありかもしれないと考え始めている。
だって、あとたった3日で、いきなりなにを話せばいいんだ。
3年間ためにためておいて。
そうだ、3年もあったのに。
やっぱり、もったいない気がしないでもなかった。うっすら思う。
ああ、柔らかそうな髪。
と思ったとき、
「さん」、
沖田くんがくるりと振りむいてわたしの名を呼んだ。
「な、に」
まっすぐ目を見つめてくるものだから、思わずたじろぐ。
「プリント。回ってきた」
「あ・・・、ありがと」
喋ってる。わたし沖田くんと喋ってますと、誰にでもなく報告してしまう。心の中で。
「それから」
「はい」
「さんは、俺たち3年間クラス一緒って気付いてやした?」
「え、・・・あの、うん」
「じゃあ、その間一度も口きいたことがなさそうだってのは?」
「・・・え?・・・え、あ、は、い」
「なんだ、も気付いてたんですかい」
「え」
「俺、結構前に気付いてから、いろんな意味でに興味持ったんでさあ、それでわりとのこと見てた」
沖田くんがぐいとこちらへ身を乗り出して、椅子にこすられた床が鳴いた。
「なあ、3日もあれば3年分取り返せると思いませんかい?」
できないはずがないと言いそうな、挑戦的なその笑みを見て
わたしは5分前の後悔なんて忘れてしまった。
(2010,10,10)